カベナントビクトリーセンター
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2019年8月3日(土)
初穂集会メッセージ「アブの月」  ワンダリ美奈子牧師 2019 アブの月 天の法廷において、私達を妨げている呪いを打ち砕く時

はじめに アブの月に関する歴史的背景
今月は聖書暦第5月 アブの月(2019/8/1-2019/8/31)
これはとても重要な月である。今月イスラエルの民がエジプトから旅して、約束の地の直前まで来ていた。偵察のためにスパイを送って、まさに約束の地に入ろうとしていた時。

しかし、12人のスパイの内、10人は否定的なレポートをもって帰ってきた。あの土地の人々は強すぎる。自分達にはとても征服できない。イスラエル全体がそれに影響されていった。「自分達は荒野で死んだ方がましだ。」
その結果、イスラエルは40年間荒野をさまようことになり、次の世代まで待たなければならなかった。その世代の者は、ヨシュアとカレブ以外、全員、自分達の言葉で語った通りに荒野で死んだ。(民数記13章、14:1-38)
40年後のアブの月に、その世代の最後の者がなくなり、世代交代完了した。約束の地へ。再びチャンスがやってきた。今度は前回のように不信仰によって退いてしまうことはなく、新しいリーダーであるヨシュアを先頭に、約束の地を勝ち取る戦いへ入っていった。

今月アブの月は、私達が、神からそれぞれに与えられた使命の内に入っていくかどうかということを選び取って行く大事な鍵となる月です。一つ一つのポイントを見れば、これが非常に私達にとって大切な月であることがわかる。そして、9月末からは、新しい聖書暦の一年が始まる。この時に何を選び取っていくかということは、秋からの新年に対してどのように入っていくかということと関係する。今月は自分の生活や人生の中で、何を選び取るか、ということに注意を払わなければならない。

神の願いは、私達をそれぞれに与えた使命へと導き入れること。神は一人一人に、人生で成し遂げるべきものを与えてくださっている。一人一人に神から与えられた約束の地がある。

しかし、私達には、私達を失敗させようとする敵もいる。サタン。彼はいつも私達が正しい選択をすることを妨げようとする。

何を用いて妨げようとするか?私達の内側にあるものを用いて失敗へいざなおうとする。咎・呪いを用いる。

1)今月、咎があることを覚える月。「咎」とは、ある一定の罪を犯しやすい私達の内側の傾向です。それは家系を通して受け継がれるもの。

例えば、ヤコブの家には父方イサクの方にも、母方リベカの方にも、噓をついて人を欺くという罪の傾向があった。

父イサクも祖父アブラハムも、二人とも同じウソをついて自分を守ろうとした。新しい土地に行ったときに、自分の奥さんのことを「これは妹です」と言うことによって、身を守ろうとした。

母リベカの家系にも欺きの罪があった。リベカとヤコブは目の見えないイサクをだまして、長男の権利がヤコブに行くように計らった。リベカの兄ラバンはヤコブにラケルと結婚させるといいながら、当日になるとレアとすり替えた。

聖書を読むと、同じ家系の中で同じような罪のパターンが繰り返されているのがよくわかる。

ダビデの家系には、姦淫の傾向があった。ユダは、娼婦のふりをした嫁のタマルと関係をもった。ラハブはエリコの町の娼婦、ルツはモアブ人。モアブ民族そのものが父子相姦から起こった民族だった。だから、ダビデは後に、バトシェバに関して、大きな罪を犯し、その罪のゆえに、彼の家庭内には、レイプ、その結果としての殺人、ひいては国を挙げてのクーデターまで起こった。彼自身の咎が子供達に受け継がれて、子供達がそのような罪を犯すようになってしまった。

ダビデがそのように失敗することになってしまう、失敗を選び取ってしまうように、サタンがプレッシャーを与えることを許してしまう土台というものがそこにあった。そのように、私達の咎—つまり特定の罪に引き寄せられやすい傾向――を用いてサタンは私達に霊的なプレッシャーや誘惑をもたらし、私達が間違ったことに陥ってしまうようにいざなおうとする。

咎=私達の内にある特定の罪に陥りやすい傾向。それは罪の結果、家系を通して受け継がれる
呪い=罪の結果、もたらされる病や特定の否定的パターンや状況。

2) 呪い
祝福の内にある=良いもの、益をもたらすもの、心地よいものが驚くほど増加して満ち足りていくこと。不毛のものが花咲く、欠乏から豊かさへ、死んだものが命へ。チャレンジあってもいつも希望があって、喜びに満ち、乗り越えられて行く。

呪いとはその逆。―家系の中に同じ病気のパターンがある。―常に経済的欠乏状態がある。―常に精神的・感情的に問題がある。―不毛さ。生産性がない。―結婚の破綻、家庭分裂、人間関係の破綻
―事故に遭いやすい。―家系の中に早死にや自殺傾向がある。

神が呪いをもたらすのではない。世の中の人々が一般的に考えているようないわゆる魔術を使ってかける「呪い」とは違う。確かにそういう呪いもあります。しかし、聖書に「呪い」と書かれてある時、ほとんどの場合は、私達自身、あるいは私達の親や先祖の罪の結果、もたらされてしまうものを指しています。罪を犯したら結果が伴う。それを聖書では呪いと呼んでいます。
「あなた方の前に祝福と呪いを置く」(申命記28)

選び取りなさいということ。

サタンは、咎や呪いを用いて、私達を圧迫したり、罪にいざなおうとする。そして、下記の二つを妨げようとする。
@神からの祝福を選び取る
A祝福の内にとどまって歩み続けること。

私達が合法的にサタンに与えてしまっている足場を取り扱っていくことがとても重要。サタンに場所を与えない。隙を与えない。

十字架で確定された判決を執行することの重要性
イエスはすべての罪と呪いを背負って、十字架にかかってくださった。ですから、そのことによって、罪と呪いに対して解決は備えられた。しかし、それを実際どのように自分の人生に適用するかということについて、理解している人々は少ない。「私は新約のクリスチャンだから、呪いは関係ない。」と思っている。確かに、十字架の上で勝利は勝ち取られました。イエス様が十字架の上で「完了した!」と叫ばれた。テテレスタイ=「すべての罪の代価は支払われました!」ということ。私達がすべての罪と呪いの下から、解放されて自由になるために、すべての代価は支払われた。

しかし、その勝利を実際に自分の人生に適用して、用いないといけない。裁判で判決が出されると、それが適切な権威を与えられた人々によって、執行されます。この判決を「執行する」という過程が大切。それをやっていないクリスチャンが多い。執行する権威を与えられた人々というのは誰ですか?=私達。神を信じる者たち。イエス・キリストを救い主として信じて、神の息子、娘とされた者たち。それがキリストにあって私達に与えられたポジション。

これは嘆いたり、恐れたりする月ではない。咎や呪いを打ち破り祝福と神の約束の内へ入る時。今月、神は私達の内から咎や呪いを取り除きたい。祝福から祝福へと進むために。

Iペテロ5:8 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」
この聖句の「敵」という言葉は、ギリシャ語で「antidikos」と言い、裁判で訴える者という意味がある。
Anti=反対する。Dikos=権利
つまり、サタンは私達の権利を認めさせないように反対する者。イエスは、私たちが神の息子、娘とされ、神からの相続物であるあらゆる祝福を受け継ぐことができるようにと命をささげてくださった。サタンはその相続物を受け継ぐことを妨害し、相続者としての私達の権利を認めさせないように反対してくる者。法的に対抗してくる。この場合の法というのは、神の律法。サタンは、私達の人生において、神の律法の基準を満たしていない所がないかとあら捜しをして、それを見つけると、罪状書きを天の法廷で私達に対して突き付ける。それを基に私達を食いつくそうと法的な権利を探している。

これに対して、私達は自分の義、自分の正しさによって立ち向かうことはできない。私達は皆罪を犯した。聖書に書いてあることは、私達が一つでも罪を犯したら、律法を全部破ったのと同じです。だから旧約時代、人々がどんなに一生懸命、律法を守ろうとしても、そこに救いはなかった。
ローマ3:10b「義人はいない。ひとりもいない。

だから、皆知っていた。私達には救い主が必要だ。罪の赦しを与えてくださる方が必要だ。私達は自分で自分を正しいとすることはできない。キリストが自分の罪のために十字架で命をささげてくださったということを信じる信仰のゆえに、
神の前で正しいとされる。

天の大庭
賛美の曲 詩篇100
天には法廷がある。
“Court” 法廷だけを意味しない。王のいる宮廷をも意味する。
詩篇100:4 「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。」
(NKJV) Ps.100:4 “Enter into His gates with thanksgiving, And into His courts with praise. Be thankful to Him, and bless His name.”

大庭 Courts
Courts: 法廷、裁判所、宮廷、宮中、謁見の場、御前会議
さばき主である王がいる場所。王の御前で物事が審議される所。

私達は賛美を通して、主のおられる謁見の場に入っていく。

宮廷とか御前会議というのは、普通の人々は入ることができない。しかし、王の息子、娘なら、出入りすることができる。

ヘブル4:16 「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」
私達は自由に神の謁見の場、御前会議に出入りすることができる。
Courts 複数形。天にはいくつかの庭がある。ちょうど、幕屋や神殿が内庭や外庭に分かれていたように。しかし、イエスを信じている者私達は、そこに大胆に出入りすることができる。

イエスが十字架にかかった時に至聖所の垂れ幕がまっぷたつに裂けた。

私達は、地上にいるけれど、天の所に座している者。
エペソ2:4 「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」
ヨハネ1:12-13「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」
私たちは御霊によって生まれた神の息子、娘であり、天の所にイエスと共に座している者。

サタンは兄弟たちの告発者。キリストを信じている人々を日々、告発しようとする。しかし、私達は、それに対して、神の息子、娘として、天の法廷、つまり、神の御座の前に進み出て、私達を告発しているサタンに対して、イエスの血潮による贖いが自分のためであったと主張し、呪いや告発を解除することができる。呪いを解くために私達が赴かなければならない場所は戦場ではなく、法廷。

実際にどうやって祈るか?
天の法廷とは?天において、法的な事柄が神の御前で取り扱われているところ。神がさばき主、弁護者はイエス様、御使いたち、告発者であるサタンや悪霊達
法廷には証人の証も必要。
黙示12:11「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。」  

祈りにおいて、天の法廷に入るということを思うときに、立ち上がりがち思い::
―それはあまりにもおそれおおい。
―私は霊的に未成熟なので、そんなことはできない。
―そんな祈りはあぶない。

しかし、自分がキリストにあって、どのような者であるかということを覚えなければならない。私たちは御霊によって生まれた神の息子、娘であり、天の所にイエスと共に座している者。それはクリスチャンとしての成熟度とは関係ない。聖書の知識をどれだけ持っているかということとも関係ない。それは、キリストを救い主として信じ、聖霊の内住を受けた時に、与えられたポジションである。

1)天の法廷に入り、私達を妨害しているサタンの告発を解除しようとするとき、適切なプロトコールがある。
プロトコール=適切な態度、心と思い、で臨まないといけない。
私達が神に近づく時、三つの形で近づく。
1. 父なる神として近づく。(ルカ11:2)
2. 友なる神として近づく。(ルカ11:5-8)
3. さばき主として近づく。(ルカ18:1-8)
天の法廷に近づく時、私達はさばき主としての神に近づく。私達は神を敬い、主への恐れをもって、近づく必要がある。
エステルが王のもとに近づいた時、王族の衣装をつけ、謙遜な姿勢で、しかし大胆に御座に近づいた。私達も、王の息子、娘としての衣をまとい、へりくだって、大胆にさばき主である主の御座に近づきます。そして、天の法廷を開いてくださるよう求める。それを心の中で主に求めてもいいし、声に出して求めてもいい。

そして、天の法廷に招かれなければならないものすべてを招集してくださるよう求める。弁護人はイエス様、御使い達、告発者達。

2)そして、告発者達が、どのような事柄において自分を訴えているのか示してくださいと求める。示されたら書き留める。
―サタンや悪霊の告発である。
―ある時は自分に対して向けられた人々の批判の言葉であることもある。

3)一つ一つについて主の前で悔い改める。告発されている内容について、議論したり、答弁しようとしてはいけない。私達は自分の正しさによっては勝てない。すべて悔い改める必要がある。そしてそれらの罪のためにイエスが十字架上で血潮を流してくださったことを宣言する。サタンの告発に対して、私達は、悔い改めとイエスの血潮をもって答える。
それによって、その罪からもたらされる責めが取り除かれ、告発者が沈黙しなければならなくなる。

4)評定:さばき主からの判決、評定を受ける。覚えておかなければならないことは、私達がここで取り扱っているのは私達の救いそのものに関することではないということ。それは私達がイエスを救い主として信じて受け入れた時に、すでに確定されている事柄。それは揺るがない。ここで取り扱っているのは、私達の神との歩みを妨げている告発や呪いを取り除くということ。

5)無罪が確定して、サタンの法的な訴えが取り除かれたら、それが原因で存在する呪いをすべて無効にする宣言をする。
イザヤ54:17 「あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。――主の御告げ。――」

「罪に定める」ヘブル語 rasha 「間違っていると宣言する」
サタンの訴えがすべて間違っていると宣言し、却下し、そこからくる呪いを解除することができる。

<天の法廷においてサタンの告発と呪いを解除する祈り>
1)まず、自分がキリストにあって、どのような者かということをしっかり見直しましょう。
・イエスは私の罪のすべてを負って十字架にかかってくださいました。私は罪赦された者です。罪の代価はすべて支払われました。私はイエスの血潮によって贖われた者です。
・私はキリスト・イエスにあって、罪を赦され、神の息子/娘とされた者です。
・私には子としてくださる聖霊が与えられています。私は御霊によって生まれた者です。
・私は神に愛されている者です。何者も私を神の愛から引き離すことはできません。
・私には永遠の命が与えられています。(その他、自分のアイデンティティに関して下記に書き出します)


天の法廷に入る前に、これらを宣言し、イエスにあって自分に与えられているアイデンティティを確認しましょう。

◆イエスが自分の罪のために十字架にかかられたということを信じ、水と御霊によって新しく生まれた者でなければ、ここに記された祈りはできません。
ヨハネ3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ヨハネ 3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」

自分が新しく生まれた者であるということがはっきりわからない方は、次の祈りを祈りましょう。
「父なる神よ、私は、あなたを神として認めず、あなたから離れて生きてきました。また、あなた以外のものを神として拝んできました。イエス様がそのような私の罪のために十字架で命をささげてくださったことを今、信じます。どうか私の罪を赦してください。私はイエス様が私の救い主であることを信じて告白します。神よ、あなたは信じる者を、ご自分の子とし、あなたの御霊である聖霊を与えてくださいます。聖霊様、どうか今、私の内に入り、お住まいください。私の人生を導いてください。」

2) 天の法廷に入るには、へりくだって、大胆にさばき主であり、王の王である主の御座に近づきます。そして、天の法廷を開いてくださるよう求めます。それを心の中で主に求めてもいいし、声に出して求めてもいいです。

「父よ、今、私は畏れつつ、大胆にあなたの御座に進み出ます。〇〇の件に関して、どうか天の法廷を開いてください。」
そして、天の法廷に招かれなければならないものすべてを招集してくださるよう求めます。父なる神がさばき主です。弁護人はイエス様、御使い達、告発者達。

3)告発者である悪魔が、どのような事柄において自分を訴えているのか示してくださいと求めます。示されたら一つ一つ書き留めましょう。それが私達に対してサタンが用いている罪状書き(債務証書)です。(コロサイ2:12-14)

コロサイ2:12-14 「あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。2:13 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、2:14 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」

サタンが私達に対して突き付けている債務証書に対して、私達は下記のように祈り、十字架の贖いを適用していきます。

4)先ほど書き留めた事柄に関して、それらの罪状を一つ一つ主の御前で口に出して悔い改めます。告発されている内容について、自分の論理で正当化しようとしてはいけません。私達は自分の正しさによっては勝利できないからです。イエスが私達の贖い主であるということにより頼みます。
その上で、その特定の状況に関わる自分の罪、また、自分の家系に存在する罪をすべて悔い改めます。(これは否定的な思いを吹き込もうとするサタンのささやきに対して同意してしまうこととは違います。このように祈るのは、サタンに与えている罪の足場を取り除くためです)

それらの罪のためにイエスが十字架上で血潮を流してくださったことを宣言します。

5)その件について、サタンの法的な訴えが無効とされたことを宣言します。それが原因で存在する呪いをすべて無効にすると宣言します。イエスの名によって。
イザヤ54:17 「あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。――主の御告げ。――」

6)自分が祈った事柄に関して、主が何と語っておられるか、主の言葉に耳を傾けましょう。(赦しのことば、祝福のことば、いやしのことば、・・等)
主が何かイメージや幻を与えてくださるかもしれません。時間をとって、主が示してくださる事柄を受け取りましょう。

7)主に対する感謝と賛美の時を持ちましょう。

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